あくび
- A
- 2018年8月22日
- 読了時間: 2分
私は泣くことが多いと思う。本や映画、嬉しいことや悲しいことがあったときだけではなくて、ぼうっとしていたり、楽器の練習をしていたり、ふと考え事をしたりするだけでぼろぼろと涙が出てくる。
あんまり出てくるので、まるで身体の反射的な現象のようだけど、この涙はそうではないという実感が自分の中にある。目が痒いとか、あくびをしたとか、そういう類のものではない。
こうして泣いているときは、どうして私は泣いているんだろう?と考える。特別に何かあったときは別だけど、特に思い当たることはない。そこに人がいて、どうしたの?と訊かれても、きっとわからない、としか言えないと思う。
それでも私は泣いているし、そのときはもうどうしようもない。止めようと思っても止まらないし、たとえ泣き終わってもすっきりとした感情は湧いてこない。ただ涙が出てきて、止む。それだけ。だからいつも、泣いてすっきりできたらいいのになあ。と思う。体から水が抜けて、頭の中がからからになって、ご飯が食べたい、とか、外に出たい、とか、そういう欲求が湧いてきたらいいのにと思う。
それでも私は決まって泣くだけで、その後にはぽかんとしてしまう。抜け殻。そんな時には、きっと私は一生泣く運命なのだと思う。決して悲観的な感情ではない(と私は思っている)けれど、これはとっくに決められたことなのだとわかる。それなのに泣いたってすっきりなんてしないし、息苦しささえ感じる。できることなら泣きたくなんかない。そこまでの作業を中断させなければならないし、譜面はぼやけて読めないし、コントロールできていない自分を見せることになるし、なにより人を困らせるし、いいことなんか何もない。それでも、これは運命だ。
運命説を唱えると、心なしか今までよりも気持ちが軽くなった気がする。要するに責任転嫁だけど、この話に関して言えばとても大事なことだと思う。…たぶん。
それから、涙と一緒で、この文章にも特別な意味はない。ただ流れている。だけど泣くよりずっとすっきりとしてきもちがいい。
もしかしたらこうして感情を文字にすることも人を困らせるのかもしれない。
それでも。
ふむ。
逆らえないこの涙と、どうやって付き合っていこうか。
Kommentare